20歳で移住。この地で叶えたプロになる夢
プロサーファーを志して2000年に田原市へと移住した那須憲治さんは、仕事と両立しながら練習に打ち込み、プロになる夢を実現させた。引退後の現在も生活の一部としてサーフィンを楽しんでいる那須さんに、田原市での生活とこの地の魅力を聞いた。
思い通りにならないから、サーフィンは楽しい
世間の流行に乗じて、20歳の頃にサーフィンを始めた那須さん。当時は岐阜県に住んでいたため、往復5時間かけて田原の海に通った。
「サーフィンは、最初はまったく思うようにいきませんでした。波に乗るどころか、波が高いときは沖に出ることすら難しい。楽しくて続けたというよりは、できないことが悔しくて通っていた感じです。
当時はトラックの運転手をしていたのですが、人と接する機会が少ない仕事だったので、海でいろいろな人と話せるのが楽しくて。そういう面でもサーフィンが好きになりました」
サーフィンを始めて4カ月ほど経ったあるとき、世界を代表するプロのサーフィンを見て衝撃を受け、「自分もあんなふうになりたい」とプロを志すようになった。当時所属していたショップの方に相談したところ、「移り住んで毎日サーフィンをするのが一番いい」とアドバイスをもらい、すぐに移住を決意。これまで通っていた田原市以外は選択肢になかったという。
移住後は毎日海に入って練習を繰り返し、2009年には念願叶ってプロのロングボーダーに。「中途半端に終わるのは嫌だった」ということから、現役引退前には国内外の大会を回った。2017年に現役を引退した後も趣味でサーフィンを続けており、「今日もさっきまで海に入っていました」と笑顔を見せる。
サーフィンでできた人との縁が仕事につながった
移住後に就いた仕事はしらす漁師。サーフィン仲間の親戚がしらす漁を営んでおり、誘ってもらったことがきっかけだった。朝は早いものの14時には仕事が終わるため、サーフィンの練習時間を確保できることが決め手だったという。
やりがいのある仕事だが、しらす漁の稼働は年間約100日。空いた時間を活用して、キャベツとトウモロコシの農家も始めた。
「時間に融通の利く仕事がないかなと考えていたとき、田原市の知人に『キャベツを作ってみたらどうだ』と言われて。最初はバイトとして働きながらキャベツ作りを教わり、徐々に道具を揃えて、畑の面積を増やしていきました」
そんな那須さんは、2024年3月に転職。サーファー仲間に声をかけてもらったことから、うなぎの卸売会社で働き始めた。
「転職して間もないので、まずは仕事に慣れていきたいです。しらす漁をやっていたときは、しらすの油で指輪が外れてしまう可能性があったのですが、今の職場では結婚指輪を付けることができてうれしいですね。時間にも少し余裕ができそうなので、またサーフィンに打ち込みたいです」
田原市の魅力は“食と自然”
田原市の魅力を尋ねると、「意外かもしれませんが、食べ物がおいしいところです」とのこと。
「農業が盛んな地域なので米や野菜もありますし、田原ポークやあつみ牛もおいしい。田原市の食材を使った学校給食もおいしいみたいで、子どもたちにとってもいいことだなと思います」
現在、妻と3人の子どもとともに田原市で生活を送る那須さん。お子さんと一緒に海へ遊びに行くことも多いという。那須さんの生活の軸には今もサーフィンがある。
「田原市は自然が豊かで、サーフィンはもちろん、キャンプや釣りなどのアウトドアレジャーができるスポットもそろっています。興味のある方はぜひ一度遊びに来ていただきたいですね」